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闇が支配するその空に、針で引っかいたような細く紅い月が昇る。
全てを、血に染めるように…。
「藤菜…柳苑の、その瞳はなんだ…」
俺が指を指した先にいる父親は、驚愕の表情を浮かべつつも既に瞳には憤怒の情を宿してそう、つぶやく。
「貴方、違うんです!此れは…」
母親は俺を擁護しようと父親に縋りつく。
それを見て、俺は、なんと未練がましい、醜い場面だと。
酷く冷めた瞳でそれを見ていた。
――自分の母親が、自分を守ろうと、しているのに…。
俺はこのつまらない、閉ざされた一族など滅んでしまえば良いと、願っていた。
その願いは、過去に一族に厄災を招いた者、闇染零を招き…そして受け入れた。
それが、全て。
「言い分けは無用!…柳苑。来なさい」
縋る母を払いのけて俺の腕を掴み、引きずるようにして部屋から連れ出した。
袖の蝶が舞い、右目を覆っていた包帯がはらり、と舞う。
腕を掴むその力は強く、鈍い痛みを与えた。
ああ、痕になってしまうな…そう、思った。
連れ出された部屋からは、母親の慟哭が響いていた。
紅い月が昇る空に。
最初に連れて来られたのは、屋敷の奥にある座敷牢だった。
この場所が使われたことは今までにないらしく、そこはひどく冷たい空気がと黴の臭いが支配していた。
こんなところに入れられる。それが不愉快だった。
「不満か」
そう問われたが、答える気はなかった。
自分が入れられる牢を、ただ見つめていた。
「…やはり、つまらない子だ」
父親は、俺を見ることなくそう呟いてから座敷牢に俺を押入れ、さび付いた錠をかけた。
「これから、一族の者とお前の処遇を検討してくる…覚悟はあるな」
応える気は、矢張りなかった。
牢の上部、小さく開いた採光窓を俺はただ見つめ、沈黙を返した。
小さいため息が聞こえ、父親が踵を返しこの牢から出て行く音だけを追った。
暫くの沈黙のあと、俺は闇に問う。
「其処に、いるんだろう?」
闇の、採光窓からの光が届かない牢の隅。
闇が、のろり、と流れたように見えた。
「くくっ。何だ、面白いことになってきたなぁ…まるで俺の過去を、見ているようだ」
くつくつと、闇染零は笑う。声だけで。
「餓鬼。どうする。親父が帰ってきたら、殺されるだけだぞ…」
「解ってる…力をくれるんだろう?零」
闇を、見る。
挑発するように。
闇は笑った。応えるように。
そして闇から白い腕が伸びて、俺の右目に触れた。
ひやりとした、死人の熱。
「良いだろう。俺の望みも、お前の望みも同じだ…力をやろう。…柳苑」
闇は一瞬人の形を取ったように見えた。
「覚悟はあるか?」
「ああ」
答えと共に、全身に重く冷たい圧力がかかったようだった。
全身を寒気が襲って、叫びだしたくなるような凄惨な映像が脳裏を駆け巡る。
これは、記憶。
過去の、闇染零の、記憶。
その死の瞬間までの。そしてその後の。
血の色の。闇の色の。
「さぁ、行こうか」
俺の内側から、そう聞こえた。
「ああ」
この後、何をどうすれば良いのか。
考えなくても、解った。それは自然と、自分の中に流れこんでくる。
闇を背負い、其処から立ち上がり鉄格子に手をかけた。
ひやりとした感触。そしてその感触が俺の体温と溶け合ったように感じたその後、鉄格子は闇色にどろり、と溶け、周囲の闇に同化した。
その分闇の質量が増えたように感じ、その闇が味方についてくれる。
そんな実感が伴った。
住み慣れた屋敷は、何所に何があって、今父親達が何所にいるのか良くわかっていた。
一族の有力者達と話し合いの場を持つときに使われる部屋を、一直線に目指した。
紅く、細い月だけが照らす庭と廊下。
闇を、引き連れて。
赤い着物に染め抜かれた蝶が、歩行に合わせて夜闇を舞う。
黒髪が闇に同化する。
目指す部屋まで、ただ一直線に。
右目が疼いた。
歓喜に。
――念願を果たす、その喜びに。
自然と、笑みが浮かぶのを止めることができなかった。
此れは、だれの感情なのか。
闇染零のものなのか。亜桜柳苑のものなのか。
解からなかった。
しかし、それが不安や恐怖の原因になることはなく、むしろ自然に受け入れる事が出来た。
おそらく、それはどちらかの感情ではなく、二人の感情。
溶け合ってひとつになった感情と人格。
その証拠に闇染零の声は、聞こえなくなっていた。
その部屋からは沢山の人の気配と、蝋燭の灯りが漏れていた。
月の微光が支配する庭と廊下に微かに蝋燭の橙の光が染みを作る。
そこに闇が、落ちる。
雫のように。
闇が灯りを侵食する。
閉じられた襖に手をかけた。
それは、鉄格子を闇に溶かしたときのように、それは闇に解けて消えた。
消えた襖の先に、閉じ込めたはずの娘の姿を見て、父親は、狼狽していた。
集まった有力者達は何が起きたのかわからない。という顔をしていた。
それが、滑稽で自然と声を立てて笑っていた。
それは正に、異常としか言い得ないものだった。
息継ぎもなくただ笑う、その声。
二重に重なる声。
「亜桜殿、これはいった…」
1人の有力者が声を上げたが、その言葉は最後まで紡がれる事はなかった。
永遠に。
笑うことをぴたりと辞めた柳苑がその白い指で弾いた闇で、それは人の形を失っていたから。
頭を失っては、言葉を紡ぐどころか、生きることすら出来ない。
血飛沫すら、闇のまれその場を汚さない。
柳苑はその部屋を見渡しにやり。と笑う。
獲物を狩る捕食者のように。
「滅んでしまえば良い。こんな、閉ざされた一族など」
やけに通る声音だった。
その声に、父親は聞き覚えがなかった。
柳苑の声ではあるが、それだけではない。
「――お前は、誰だ」
「…貴方の娘ですよ。父上……ああ、今はもうひとつ名を貰いましたが…聞き覚えがあるでしょう?闇染、零」
長い黒髪をかきあげて、告げる。
右目の厄災の眼が強調される。
「…闇染、最初の厄災を呼んだ者」
「柳苑が厄災の眼を得たのは、お前のせいか」
「なんと…」
既に1人の仲間が殺されたと言う中でも、彼らは気丈にも逃げずに、その場で柳苑を見ていた。
其処は、評価しよう。そう、笑った。
「流石に有力者、と呼ばれるだけの事はある。これから、どうなるか解らないわけじゃないでしょう?」
首をかしげて、視線で首を飛ばされた死体を見る。
それだけをみれば、歳相応の可愛らしい少女のそれに見えるのだが、この状況ではそう楽観的にな状況ではないことは明確だった。
これは、死刑宣告。
ならば。と、父親は柳苑を見据えて、宣言する。
「我等、夜織の一族は今まで厄災の眼を有するものを、死を持って処分してきた。それが一族の頭領の娘とて変らぬ。更に、今この状況。厄災の眼に支配されたのなら尚更である!柳苑を死罰を持って排除する」
側に置いた刀を、父親は取り鞘からその鍛え抜かれた刀身をすらりと抜き出した。
そして、それを見た残りの有力者も、各々刀をとり構えた。
「支配?まさか…我々は意見の一致が其処にあった。だから今があるのだよ」
くすくすと、笑う。
そして、紛れもない柳苑の声が告げる。
「こんな閉ざされた一族、滅べば良いと。それが俺達の意見の総意」
右手をかるく振ると、そこには刀が握られていた。
闇に、刀の形を持たせた、柄も刀身も闇色の真黒な刀。
「今此処にいる全ての命を奪ったら――、その後は、どうしようか。この界隈を闇で飲み込んでしまおうか」
そういいながら、柳苑は部屋をみたまま廊下の先に、刀を向ける。
どっ。と硬質な物資が、濡れた何かに刺さる音が聞こえ、続いて人が倒れこむ音がした。
部屋の中からは何が起こったかわからない。
説明するように、柳苑は笑みを讃えたまま残酷な言葉を、さらりと放つ。
「さようなら、…母上」
「!貴様!藤菜殿を!」
父より先に誰かが、そう声をあげた。
「だって、可愛そうでしょう。これから此処にいる全ての人の死体を見るなんて…その死体を娘が作ったなんて・・・みたくもないでしょう?」
平然と、楽し気に。
「そうか…解った。もう亜桜柳苑は…存在しないのだな」
「今までの柳苑は、居ない」
一歩、部屋に進む。
刀を、下ろしたまま。
それが、合図だった。
一斉に、攻撃の手が加えられる。
容赦のない一撃。
更に、死角からの攻撃。
1人の少女には耐え切れないほどの物量の攻撃。
しかし、其処にいるのは、ただの少女ではないのだ。
闇を従え、闇を抱き背負い厄災を運ぶもの。
「所詮、老いぼれの力などこんなものか。他愛ない」
攻撃は全て、柳苑には届かない。
その前に闇に飲み込まれる。
「では、永遠にさよならをしましょう。1人ではない。直ぐに家族も後を追いますよ。安心したら良い」
そして、闇は弾かれた。
全ては、紅い月が見ていた。
夜織の一族は、一晩のうちに滅んだ。
闇に飲まれ、血溜まりのひとつも作らず。
ただ、身体の一部や、その全てを失って、消えた。
一族を滅ぼしたあと、みてみたい世界があった。
行ってみたい場所があった。
そこは各国が争いを繰り広げる世界だと聞いた。
その何処かの国に忠誠を誓ってみるのも、面白いかもしれない。そう思った。
もし、夜織の一族のようにつまらない国なら、また闇に飲まれてしまえば良い。
そして、また旅に出るのだ。
魂が、落ち着くその場所に出会えるときまで。